世界を股にかけるダンサー、ケントモリさんをご存知でしょうか?
実は、誰もが知る海外のトップアーティストと数々の共演を果たし、クリス・ブラウンやアッシャーのステージダンサーを務めるような超有名ダンサー。
そんな世界的に有名なケントモリさんですが、あのマイケル・ジャクソンとマドンナが取り合っていた過去があるのをご存じでしょうか?
今回は、そんなケントモリさんの経歴、プロフィールから現在の活動までご紹介します。
ケントモリのプロフィールと経歴
現在は、AR Artist KENTOとして活動しているケントモリさん。今では、ダンサーとして世界的に有名になったケントモリさんのプロフィールと経歴をご紹介します。
- 名前:ケント・モリ(Kento Mori)
- 生年月日:1985年3月3日生まれ
- 出身地:愛知県出身
- 所属:KM1
ケントモリの生い立ち
幼少期から母や祖母の影響で、マイケル・ジャクソンやマドンナの音楽に触れて育ったケントモリさん。大学在学中にダンスを学ぶツアーに参加してから世界を意識するようになったそうです。
そして2006年に、東京理科大学を中退して単身渡米することを決心します。在学しながら渡米する選択肢もある中、すべてを捨てて背水の陣で世界に挑む行動力がすばらしいですね。
本場アメリカでの活躍
2007年にダンスの本場アメリカでエージェント契約を果たします。渡米から1年でこの成長ぶりは異例の速さですね。
その半年後に、アーティストビザを取得します。アーティストビザとは対象の活動のみで生計を立てられることが条件になりますので、本場アメリカでダンサーとして認められた証拠です。
2008年にケントモリさんが影響を受けた1人である、マドンナのワールドツアー『Sticky &Sweet Tour』専属ダンサーに抜擢されることに。
日本を離れてから2年足らずでマドンナの世界ツアーに帯同するなんて、血の滲むような努力と苦労の末につかんだとんでもないシンデレラストーリーですね。
マイケル・ジャクソンとケントモリ
2009年はケントモリさんにとって、飛び上がるような喜びと深い悲しみとなりました。マイケル・ジャクソンのツアーオーディションに参加して合格を勝ち取りますが、マドンナとの契約もあり辞退します。
そして『THIS IS IT』コンサートを開催する直前にマイケル・ジャクソンが亡くなるという悲劇がありました。ケントモリさんはインタビューで、
「亡くなって悲しい」という次元じゃなかったです。彼がこの世からいなくなったことが信じられなくて……どこかで生きていて欲しかったです。子どもの頃の、スーパーヒーローが死んじゃったような心境でした。
世界が求めた天賦の表現力 ~KENTO MORIインタビュー!~
と語っています。個人的にもマイケル・ジャクソンの横で踊るケントモリさんを見てみたかったです。
数々のアーティストからのオファー
渡米から3年半、日本人男性ヒップホップダンサーとして始めてとなるグリーンカード(永住権)を取得します。
2010年からはさらに飛躍します。クリス・ブラウン、シルク・ドゥ・ソレイユ、ニーヨ、シアラ、オースティン・ブラウンから専属ダンサーのオファーを受けました。錚々たるメンツからのオファーですね。実際にクリス・ブラウンとは4年間の専属ダンサー契約を結んでおり、なんと世界に4人しかいない男性専属ダンサーというメガオファーでした。
現在での活躍
2013年、日本の伊勢神宮で奉納の舞を行い、現代ダンスで伊勢神宮の舞台に上がるのは史上初だそうです。ケントモリさんは本当にダンサーの先駆者ですね。
世界だけでなく日本でも、SMAPやケツメイシなど数々のアーティストと共演、振付を行っています。
その後もダンサーとして世界の最先端で活動していた中、2016年にダンサーとして一度活動を止め、新たなチャレンジ『AR Artist KENTO』として音楽とAR技術を合わせたパフォーマンスで世界デビューを果たして現在も活躍されています。
マイケル・ジャクソンとマドンナでケントモリを取り合っていた!?
ここまで解説してきたように、2008年に、マドンナのワールドツアー『Sticky&Sweet Tour』にケントモリさんは厳しいオーディションを勝ち取り、専属ダンサーに抜擢され世界中を回ります。
2009年にはマイケル・ジャクソンのツアーオーディションに、日本人として唯一合格を果たします。2年間の専属ダンサー契約を交わします。マドンナの専属ダンサーとして契約期間中であったために辞退しました
このことがきっかけで、マイケルジャクソンとマドンナでケントモリを巡る争いとなったのは有名なエピソードとなりました。
ケントモリさんがダンサーを始めたきっかけはマイケルジャクソンであり憧れの存在だったので、あきらめるというのは辛い選択肢でしたね。
ただマドンナ、マイケル・ジャクソンは世界中に知らない人はいない、アーティストとしてトップに立つ2人です。この2人から一緒に仕事をしたいと専属契約を勝ち取るケントモリさん。このエピソードだけでも凄さがわかりますね。
マドンナのステージで追悼パフォーマンスを披露
マイケル・ジャクソンが亡くなったことをうけ、マドンナがケントモリさんへ粋な計らいをすることになります。それが、自身のコンサート内で追悼ダンスをリクエストするというものでした。
またこの場所というのが、幻のコンサート『THIS IS IT』を行う予定だったロンドンのO2アリーナです。胸が熱くなってくるエピソードですね。
マドンナも見つめる中、マイケル・ジャクソンに扮したケントモリさんが追悼ダンスを披露。世界中に映像が配信されて大きな話題となりました。
ケントモリさんは当時の心境を語っています。
「率直に、ちょっと信じがたいことが起こってしまったと思いましたね。ある意味、あの瞬間は歴史上初めてマイケルとマドンナが共演した時間だったと思うし、それを日本人の僕がやったということが今になっても信じがたいです。やっぱりそれは、マイケルの遺してくれた想いがマドンナをつき動かしたんだと思います。
ただ、マイケルが亡くなって、ずっと僕の目標だった「マイケルと一緒のステージに立って踊りたい」という夢は、一生かなうことがなくなってしまいましたね……。」
世界が求めた天賦の表現力 ~KENTO MORIインタビュー!~
ケントモリさんの強い想いが込められたダンスは圧巻の一言でした。マドンナを含めマイケル・ジャクソンへのリスペクトの気持ちが一つになった素晴らしいパフォーマンスでしたね。
ケントモリの現在
世界中を駆け巡りトップアーティストと共演、活動してきたケントモリさんですが、2016年より新たな挑戦を始めることになります。それが、音楽・最先端AR技術を掛け合わせた唯一無二の存在、AR Artist KENTOです。
最先端のリアルタイムモーションキャプチャーで見せるARパフォーマンス。臨機応変にLIVEでエフェクトが生成され、今までになかった表現方法で、KENTOの独創性・自由な表現を拡張させています。目に見える音楽を届ける表現ですね。
4年間の準備期間を経て、2020年にデビューシングル『IM BACK』を全世界配信しています。今までにない表現なので、見ていて鳥肌が立ちますね。
2023年現在も、大阪城でARのLIVEパフォーマンスを披露するなど活躍を続けています。
まとめ
今回はケントモリさんがどういったダンサー、アーティストであるかをご紹介しました。
渡米してから2年足らずで、マドンナやマイケル・ジャクソンの専属ダンサーの話になるなんてとんでもないアメリカンドリームですね。
マドンナ直々の依頼で、マイケル・ジャクソンの追悼ダンスを披露できたのは、ケントモリさんだからこそ成しえたストーリーでした。これから日本を出て世界での活躍を目指しているダンサー達に夢や勇気を与えたのではないでしょうか。
現在、AR技術を使用した新しいパフォーマンスをしていますが、また新たな挑戦にも期待したいですね。これからのケントモリさんに目が離せません。
【参考サイト】